Сосэки Нацумэ - 吾輩は猫である / Ваш покорный слуга кот. Книга для чтения на японском языке стр 2.

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吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園《ちゃえん》がある。広くはないが瀟洒《さっぱり》とした心持ち好く日の当《あた》る所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然《こうぜん》の気を養うのが例である。ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後《ちゅうはんご》快よく一睡した後《のち》、運動かたがたこの茶園へと歩《ほ》を運ばした。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾輩の近づくのも一向《いっこう》心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きな鼾《いびき》をして長々と体を横《よこた》えて眠っている。他《ひと》の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡《ねむ》られるものかと、吾輩は窃《ひそ》かにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。彼は純粋の黒猫である。わずかに午《ご》を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛《な》げかけて、きらきらする柔毛《にこげ》の間より眼に見えぬ炎でも燃《も》え出《い》ずるように思われた。彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立《ちょりつ》して余念もなく眺《なが》めていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐《ごとう》の枝を軽《かろ》く誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はかっとその真丸《まんまる》の眼を開いた。今でも記憶している。その眼は人間の珍重する琥珀《こはく》というものよりも遥《はる》かに美しく輝いていた。彼は身動きもしない。双眸《そうぼう》の奥から射るごとき光を吾輩の矮小《わいしょう》なる額《ひたい》の上にあつめて、御めえは一体何だと云った。大王にしては少々言葉が卑《いや》しいと思ったが何しろその声の底に犬をも挫《ひ》しぐべき力が籠《こも》っているので吾輩は少なからず恐れを抱《いだ》いた。しかし挨拶《あいさつ》をしないと険呑《けんのん》だと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気を装《よそお》って冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼は大《おおい》に軽蔑《けいべつ》せる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。全《ぜん》てえどこに住んでるんだ」随分|傍若無人《ぼうじゃくぶじん》である。「吾輩はここの教師の家《うち》にいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやに瘠《や》せてるじゃねえか」と大王だけに気焔《きえん》を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしその膏切《あぶらぎ》って肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「己《お》れあ車屋の黒《くろ》よ」昂然《こうぜん》たるものだ。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義の的《まと》になっている奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々|軽侮《けいぶ》の念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかを試《ため》してみようと思って左《さ》の問答をして見た。

「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」

「車屋の方が強いに極《きま》っていらあな。御めえのうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」

「君も車屋の猫だけに大分《だいぶ》強そうだ。車屋にいると御馳走《ごちそう》が食えると見えるね」

「何《なあ》におれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。御めえなんかも茶畠《ちゃばたけ》ばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっと己《おれ》の後《あと》へくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」

「追ってそう願う事にしよう。しかし家《うち》は教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」

「箆棒《べらぼう》め、うちなんかいくら大きくたって腹の足《た》しになるもんか」

彼は大《おおい》に肝癪《かんしゃく》に障《さわ》った様子で、寒竹《かんちく》をそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の黒と知己《ちき》になったのはこれからである。

その後《ご》吾輩は度々《たびたび》黒と邂逅《かいこう》する。邂逅する毎《ごと》に彼は車屋相当の気焔《きえん》を吐く。先に吾輩が耳にしたという不徳事件も実は黒から聞いたのである。

或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠《ちゃばたけ》の中で寝転《ねころ》びながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話《じまんばな》しをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向って下《しも》のごとく質問した。「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底《とうてい》黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがに極《きま》りが善《よ》くはなかった。けれども事実は事実で詐《いつわ》る訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだ捕《と》らない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張《つっぱ》っている長い髭《ひげ》をびりびりと震《ふる》わせて非常に笑った。元来黒は自慢をする丈《だけ》にどこか足りないところがあって、彼の気焔《きえん》を感心したように咽喉《のど》をころころ鳴らして謹聴していればはなはだ御《ぎょ》しやすい猫である。吾輩は彼と近付になってから直《すぐ》にこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじい己《おの》れを弁護してますます形勢をわるくするのも愚《ぐ》である、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すに若《し》くはないと思案を定《さだ》めた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分《だいぶん》とったろう」とそそのかして見た。果然彼は墻壁《しょうへき》の欠所《けっしょ》に吶喊《とっかん》して来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向って酷《ひど》い目に逢《あ》った」「へえなるほど」と相槌《あいづち》を打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云う。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰《いしばい》の袋を持って椽《えん》の下へ這《は》い込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰《めんくら》って飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こん畜生《ちきしょう》って気で追っかけてとうとう泥溝《どぶ》の中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采《かっさい》してやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後《さいご》っ屁《ぺ》をこきゃがった。臭《くせ》えの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気を今《いま》なお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君に睨《にら》まれては百年目だろう。君はあまり鼠を捕《と》るのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出《ていしゅつ》した。彼は喟然《きぜん》として大息《たいそく》していう。「考《かん》げえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃ誰が捕《と》ったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんか己《おれ》の御蔭でもう壱円五十銭くらい儲《もう》けていやがる癖に、碌《ろく》なものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあ体《てい》の善《い》い泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟《りくつ》はわかると見えてすこぶる怒《おこ》った容子《ようす》で背中の毛を逆立《さかだ》てている。吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化《ごまか》して家《うち》へ帰った。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。しかし黒の子分になって鼠以外の御馳走を猟《あさ》ってあるく事もしなかった。御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師の家《うち》にいると猫も教師のような性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。

教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底《とうてい》水彩画において望《のぞみ》のない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。

○○と云う人に今日の会で始めて出逢《であ》った。あの人は大分《だいぶ》放蕩《ほうとう》をした人だと云うがなるほど通人《つうじん》らしい風采《ふうさい》をしている。こう云う質《たち》の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、羨《うらや》ましい事である。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思って済《すま》している。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入《はい》るから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉《ひとかど》の水彩画家になり得る理窟《りくつ》だ。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧《ぐまい》なる通人よりも山出しの大野暮《おおやぼ》の方が遥《はる》かに上等だ。

通人論《つうじんろん》はちょっと首肯《しゅこう》しかねる。また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知《じち》の明《めい》あるにも関せずその自惚心《うぬぼれしん》はなかなか抜けない。中二日《なかふつか》置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。

昨夜《ゆうべ》は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛《ほう》って置いたのを誰かが立派な額にして欄間《らんま》に懸《か》けてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだと独《ひと》りで眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚《さ》めてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。

主人は夢の裡《うち》まで水彩画の未練を背負《しょ》ってあるいていると見える。これでは水彩画家は無論|夫子《ふうし》の所謂《いわゆる》通人にもなれない質《たち》だ。

主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁|眼鏡《めがね》の美学者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭《へきとう》第一に「 画《え》はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を力《つと》めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋では昔《むか》しから写生を主張した結果|今日《こんにち》のように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目《でたらめ》だよ」と頭を掻《か》く。「何が」と主人はまだいつわられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造《ねつぞう》した話だ。君がそんなに真面目《まじめ》に信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦の体《てい》である。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事が記《しる》さるるであろうかと予《あらかじ》め想像せざるを得なかった。この美学者はこんな好《いい》加減な事を吹き散らして人を担《かつ》ぐのを唯一の楽《たのしみ》にしている男である。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線《じょうせん》にいかなる響を伝えたかを毫《ごう》も顧慮せざるもののごとく得意になって下《しも》のような事を饒舌《しゃべ》った。「いや時々|冗談《じょうだん》を言うと人が真《ま》に受けるので大《おおい》に滑稽的《こっけいてき》美感を挑撥《ちょうはつ》するのは面白い。せんだってある学生にニコラス・ニックルベ がギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった。ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだ面白い話がある。せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファ ノの話《はな》しが出たから僕はあれは歴史小説の中《うち》で白眉《はくび》である。ことに女主人公が死ぬところは鬼気《きき》人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった。それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。「そんな出鱈目《でたらめ》をいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人を欺《あざむ》くのは差支《さしつかえ》ない、ただ化《ばけ》の皮《かわ》があらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである。美学者は少しも動じない。「なにその時《とき》ゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある。主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている。美学者はそれだから画《え》をかいても駄目だという目付で「しかし冗談《じょうだん》は冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうだ。なるほど雪隠《せついん》などに這入《はい》って雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ。君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「また欺《だま》すのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした。しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。

車屋の黒はその後《ご》跛《びっこ》になった。彼の光沢ある毛は漸々《だんだん》色が褪《さ》めて抜けて来る。吾輩が琥珀《こはく》よりも美しいと評した彼の眼には眼脂《めやに》が一杯たまっている。ことに著るしく吾輩の注意を惹《ひ》いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾輩が例の茶園《ちゃえん》で彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁《さいごっぺ》と肴屋《さかなや》の天秤棒《てんびんぼう》には懲々《こりごり》だ」といった。

赤松の間に二三段の紅《こう》を綴った紅葉《こうよう》は昔《むか》しの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁《はなびら》をこぼした紅白《こうはく》の山茶花《さざんか》も残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯《こがらし》の吹かない日はほとんど稀《まれ》になってから吾輩の昼寝の時間も狭《せば》められたような気がする。

主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立て籠《こも》る。人が来ると、教師が厭《いや》だ厭だという。水彩画も滅多にかかない。タカジヤスタ ゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、毬《まり》をついて、時々吾輩を尻尾《しっぽ》でぶら下げる。

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